皆さんこんにちは。文月です。
本日も引き続き「世界全史」について見ていきたいと思います。
この一連のエントリーは、私の読書備忘録を兼ねています。
一つ前のエントリーはこちらです。
本日は第4章「ユーラシアが一体化して起きた文明の大交流」の後半、モンゴルの躍進についてです。
目次
トルコと中国の弱体化をついたモンゴル
広大なイスラム帝国をアラブ人から奪いとったトルコ人でしたが、13世紀頃になると内紛などで勢力を弱めていきます。
また東アジアでも、五湖十六国時代を終わらせた宋が、北方の契丹や女真人の金による圧力を受けて南の長江流域に中心部が移動することとなります。
しまいには金によって北方の大部分が占領され、中華帝国の農耕民族が女真の遊牧民に隷属する事に。
これは中華帝国の末裔として屈辱的な出来事でした。
このような状況の中、地球の寒冷化の影響により劣悪な環境となっていたモンゴル高原のモンゴル人がユーラシアに進出してきたのです。
モンゴルはそれまで部族同士争っていましたが、若きチンギス・ハーンが統一。
チンギスはシルクロードなどの商業を管理下において商人から税を取り立てるなどして、経済を強化しようとします。
しかし、西アジアを支配するトルコ系新興国のホラズム朝との通商を強化するため、チンギスは使節団を送りますが、なんとスパイの嫌疑をかけられて使節団は殺されてしまいます。
これに怒ったチンギスはホラズム朝を攻めて、ホラズム朝を滅ぼしてしまいます。
このホラズム朝への攻撃がモンゴルの西征のキッカケとなり、モンゴルによるユーラシア大陸の席巻が始まります。
しかし、チンギス自身はホラズム朝と中央アジアの東トルキスタンを倒した所で亡くなってしまいます。
モンゴルによるユーラシア帝国の建設は彼の後継者に引き継がれることに。
第二代ハーンのオゴタイの時代にはロシアのキエフ公国を征服、その後ポーランドにも手を広げます。
またオゴタイは東アジアの金も征服。
第四代ハーンのモンケの時代においては、イラクのバグダッドを征服してアッバース朝を滅ぼします。
第五代フビライは辛くも存続していた南宋も支配下におき、モンゴル帝国はユーラシア大陸の陸と海のネットワークを結合させた大帝国を誕生させます。
これによって中国、イスラム、ヨーロッパの文化交流が大規模となり、当時後進国だったヨーロッパに様々な技術が流れ込みます。
この東西の大交流によって、皮肉にもモンゴル帝国が衰退する事となってしまうのです。
ヨーロッパへの技術流入が遊牧民の優位を終わらせた
当時の中国にはすでに火薬や羅針盤などの優れた技術があり、これらがヨーロッパに流れていきました。
火薬の普及により、ヨーロッパでは大砲や鉄砲が発明され、農耕民の軍事力の強化が起こります。
これまで、馬に乗った軽装の遊牧民が軍事的に圧倒的に優位にあったのが、火薬により農耕民が優位に立ったのです。
これは、モンゴル帝国の成立によって起こった東西の文化交流の結果であり、皮肉にもモンゴルは大帝国を築くことによって自らの衰退のキッカケを作ってしまったのです。
火薬を使う大砲がヨーロッパで急速に普及し、騎士による戦いを終わらせて騎士も没落します。
大砲はどんどん進化し、やがて大砲を小さくした鉄砲も登場して、遊牧民の時代が終わることとなります。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
イスラム→トルコ→モンゴルと主役を替えたユーラシア帝国。
しかしそれも長くは続きません。
ユーラシア帝国は空中分解して、世界は伝統的な国に再編されていきます。
そして、ヨーロッパの伸長が始まります。
本日もご覧いただきありがとうございました。
関連するエントリーはこちらから。