皆さんこんにちは。文月です。
本日も引き続き「世界全史」について見ていきたいと思います。
この一連のエントリーは、私の読書備忘録を兼ねています。
一つ前のエントリーはこちらです。
本日は第5章「再編されていくユーラシア」から、ロシア一帯についてみていきます。
目次
モンゴル支配からの脱却
13世紀頃のルーシ一帯(現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシなど)は、キプチャク・ハーン国としてモンゴル人に支配されていました。
(ルーシから見て、モンゴルの事を「タタール」と呼んでいたため、ロシアではモンゴルによる支配を「タタールのくびき」といいます。)
モンゴル支配時代、ロシアではギリシャ正教が租税を免除され、統治に利用されました。
しかし、ギリシャ正教は異民族支配に苦しむ当時のロシア人の心の支えとなり、ロシアの文化的・宗教的一元化の中心となります。
ヴォルガ川水源地近くに位置したモスクワは、モンゴル支配時代にキプチャク・ハーン国に従属しつつも経済発展し、モンゴル支配が動揺するとイヴァン3世の時代にヴォルガ川をモンゴルから解放し、ロシアを支配するようになります。
1453年にオスマン帝国の攻撃でビザンツ帝国が滅亡すると、モスクワのイヴァン4世がビザンツ帝国の後継国家であると主張、正教の守護者としてツァーリ(皇帝)を自称しはじめ、ルーシの各国を併合していきます。
こうして、ローマ、コンスタンチノープルに続く「第3のローマ」モスクワが諸地域を支配することになります。
シベリア征服
モスクワのロマノフ王朝は、毛皮を主要産業としていました。
モンゴル商圏の下、需要が拡大した毛皮の不足を補うため、トルコ系遊牧民であるコサックを使い「毛皮の宝庫」シベリアを征服。
その後、カムチャッカ半島からオホーツク海にも勢力を伸ばし、ロシアは大陸スケールの帝国になっていきます。
ピョートル1世
17世紀後半にピョートル1世が即位します。
ピョートル1世はイギリスやオランダの繁栄をお手本に、ロシアの西欧化と海洋進出を図りました。
ピョートル1世の下、ロシアは「北方戦争」でスウェーデンを破りバルト海の覇権を握ると、ネヴァ川河口にサンクトペテルブルグを建設して首都とします。
これにより、それまで中央アジアに向かっていたロシアを西ヨーロッパに向けるようしむけます。
ピョートル1世の存在により、ロシアのヨーロッパ化が進んだのです。
終わりに
いかがでしょうか。
タタールのくびきから解放されたロシアは徐々に西欧化していき、世界史の主要プレイヤーとなっていきます。
本日もご覧いただきありがとうございました。
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