皆さんこんにちは。文月です。
本日も引き続き「世界全史」について見ていきたいと思います。
この一連のエントリーは、私の読書備忘録を兼ねています。
一つ前のエントリーはこちら。
本日は第6章「世界史の舞台を大きく拡張した大航海時代」から、コロンブスのアメリカ大陸到達とマゼランによる太平洋の「発見」についてみていきます。
目次
コロンブスの探検
大航海時代が始まった時、大西洋は未知の海洋でした。
当時、大西洋の向こう側はアジアであるとヨーロッパは考えており、イタリアのジェノヴァ出身のコロンブスは大西洋を横断して、マルコ・ポーロが「東方見聞録」で伝えた黄金の国「ジパング」の金を獲得する事を目的としていました。
独学で地理を学んだコロンブスは、陸地6に対して海1と海を圧倒的に狭く考えており、喜望峰を回るよりも大西洋を横断したほうがアジアに早く着けると考えていました。
ヨーロッパとアジアの間にアメリカ大陸が存在するとは全く考えていませんでした。
コロンブスは、レコンキスタを完成させたスペインのイザベル女王の支援を得てアジアを目指す探検に乗り出します。
1492年、コロンブスはサンタ・マリア号を旗艦とする三隻の艦船で探検に出発。
コロンブスはスペインのパロス港を出航し、カナリア諸島で風待ちをした後、北西のモンスーンに乗って30余日航海し、カリブ海のバハマ諸島グワナハニ島に辿り着きます。
コロンブスは「発見」した島を「サン・サルバドル(聖なる救済者)」と名付けました。
コロンブスの発見した大西洋往復航路は、この後大西洋の幹線航路となり大西洋を結びつけていくようになります。
コロンブスは辿り着いたカリブ海を「チナ海(中国海)」と誤解し、カリブ海の島を西インド諸島として探検していきます。
エスパニョーラ島の先住民が黄金の装飾品を身に付けるのを見て、島の中心部で豊富な黄金が産出されると聞くと、コロンブスはその中心部がジパングであると早合点。
イザベル女王にジパング発見の報告をします。
ジパング発見はヨーロッパに衝撃をもたらします。
イギリスはヴェネツィアの航海士カボットに命じて北大西洋の探検をおこなわせてニューファンドランド島チェサピーク湾に辿り着き、後のイギリスによる「北アメリカ」占有の論拠を与えることに。
ジパング発見により一攫千金を夢見たスペインは、当時海洋技術で圧倒的有利にあったポルトガルに対して大西洋を二分する条約を結びます。
これは、陸の境界線をそのまま持ってきたものであり、当然うまくいきません。
「海を活用」するという認識の欠如が、スペイン・ポルトガルのその後の没落を招きます。
太平洋の「発見」
太平洋はアメリカ大陸の西側に広がる広大な海です。
その面積は、地球上の大陸がスッポリ入る広さを持ちます。
ポルトガル人のマゼランはスペインに雇われた航海士でした。
マゼランはモルッカ諸島で採れるクローブやナツメグを求め航海に出ます。
マゼランはスペインを出航し、大西洋を横断した後、南アメリカ沿岸を南下してマゼラン海峡を抜けて未知の海に出ました。
マゼランは平穏なこの海を「太平洋」と名付け、もうすぐモルッカ諸島に着くと意気揚々でした。
ところが、行けども行けどもモルッカ諸島に辿り着かない。
マゼラン達は太平洋を進んでいます。
太平洋が地球の三分の一を占めるなど知らないので当然でした。
マゼランの船団は食料が底をつき、壊血病で乗組員が次々に死んでいきます。
出航から二年、マゼランはフィリピンに辿り着きます。
ここでようやく、マゼランはアジアの海に辿り着いたことを確認。
これによって、ヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアの位置関係がおぼろげながらも認識されることになりました。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
コロンブスにより大西洋往復航路が拓かれ、マゼランによりヨーロッパとアメリカ大陸、アジアの位置関係と地球がどうやら球形である、ということが実証されたといえます。
次回は、スペインによるアメリカ大陸の征服についてみていきます。
本日もご覧いただきありがとうございました。
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