皆さんこんにちは。文月です。
本日も引き続き「世界全史」について見ていきたいと思います。
この一連のエントリーは、私の読書備忘録を兼ねています。
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本日は第6章「世界史の舞台を大きく拡張した大航海時代」から、スペインによるアメリカ大陸征服についてみていきます。
目次
アステカ帝国、インカ帝国
16世紀前半、ヨーロッパに征服される前のアメリカの人口は約8000万人と推察されています。
当時のヨーロッパの人口が約6000万人程度だったと考えられているので、アメリカ大陸の帝国は決してヨーロッパに見劣りしないものでした。
メキシコのアステカ帝国もペルーのインカ帝国も高地山脈の帝国で、トウモロコシを主食としていました。
ユーラシア大陸で発生した河川灌漑による農地帝国とは根本的に異なる文明です。
車輪も馬も存在しなかったせず、高山地ゆえ拡張性に乏しかったこれらの帝国は、馬と鉄砲で武装したスペイン人を過剰に恐れ、また、ヨーロッパから持ち込まれた天然痘の蔓延もあり、あっという間に滅ぼされてしまうこととなりました。
1519年から1522年にかけて、スペイン人のコルテスは、550人の兵士、14門の大砲、16頭の馬を率いてメキシコ高原のアステカ帝国に侵入。
アステカ人は、大砲や馬に対する恐怖心から、帝国から追放された白い肌をした水の神・農業神ケツァルコアトル(「羽毛が生えた蛇」の意味)が、1519年に戻って来るという伝説が現実のものになったと考えました。
コルテスは周辺部族の反感感情なども巧みに利用して短期間でアステカ帝国を征服、先住民を奴隷化して巨万の富を築きます。
また、1532年から1533年にかけて、たった186人の兵士、37頭の馬を率いたスペイン人のピサロがアンデス山脈のインカ帝国に侵入しました。
ピサロは会見に来た第一三代インカ(王)のアタワルパをだまし、わずかの兵力で捕虜にしてしまいます。
アタワルパは三万人の軍事力を持っていましたが、不意打ちにあって対応できませんでした。
このようにメキシコ以南の二大帝国はスペインのものとされ、本国から派遣された国王の代理人(副王)により支配されることになります。
アメリカのスペイン化
アメリカへのヨーロッパ人の侵入と同時に、それまでアメリカに存在しなかった疫病、天然痘が持ち込まれ猛威を振るいます。
ヒトからヒトに飛沫感染する天然痘に対してアメリカ先住民は免疫を持たず、その感染力も相まって多くの人が命を落としました。
また、現在のコロンビアの首都ボゴダ付近に住む先住民チブチャ族の族長が、毎日金粉で身を飾り、年に一度の祭りの時に大量の金・銀器を湖の底に沈めるという噂がスペイン人の間に広がります。
黄金の国エル・ドラド伝説です。
スペイン人の探検者はエル・ドラドを求めて約16万人もの人がアメリカ大陸に入植し、故国スペインに似せた都市を建設していきます。
これらスペイン人の征服、天然痘の大流行などのもと、南アメリカは急速にスペイン化されていくことになりました。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
スペインのヨーロッパ人は「遊牧民の時代」にヨーロッパを脅かした馬と、その後開発された大砲や鉄砲を使いアメリカ先住民の帝国を短期間で崩壊させました。
そして、ラテンアメリカは急速に「第二のヨーロッパ」として姿を変えていくことになります。
次回は、スペインから独立を果たして海の時代を本格化したオランダについてみていきます。
本日もご覧いただきありがとうございました。
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