皆さんこんにちは。文月です。
本日も引き続き「世界全史」について見ていきたいと思います。
この一連のエントリーは、私の読書備忘録を兼ねています。
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本日は第6章「世界史の舞台を大きく拡張した大航海時代」から、オランダによる海洋覇権についてみていきます。
目次
小国オランダ
大航海時代、「太陽の沈まない国」として大西洋を支配したスペイン。
そのスペイン凋落のキッカケの一つがネーデルラント(オランダ)の独立戦争でした。
新教のカルヴァン派信仰がフランスからオランダに流入したのとほぼ同じ時期に、スペインはネーデルラントを領地に加えます。
宗教改革の波が広がると、スペインのフェリペ二世は異端審問所を設けてカトリック信仰を強制、諸都市に重税を課して、民衆の不満をかいました。
スペインが派遣した軍隊は苛酷な弾圧を加え、ネーデルラントは被処刑者約8000人、海外への亡命者10000人という壮絶な状況に。
そうした中でカルヴァン派の商工業者を中心に、80年間の長期にわたり断続的に続く「オランダ独立戦争」が展開されます。
独立戦争に手を焼くスペインは、南部カトリックと北部プロテスタント間の離間工作などで戦争の早期集結を図りますが、結局北部は徹底抗戦を続け、1581年に独立を宣言します。
その後、三十年戦争を経て「ウェストファリア条約」によりオランダの独立が承認されることとなります。
地道な努力でスペイン・ポルトガルから海の覇権を奪取
独立戦争後半から、オランダは海運国家としてヨーロッパ経済を主導していきます。
農地に恵まれないオランダは、プランテーション(大規模工場生産式農場)経営で生産した商品作物を大西洋を通じた商業活動にのせていきます。
また、オランダはニシン漁船団を派遣してニシン漁の覇権を握り、北海、バルト海で大いに活躍します。
オランダがさらに経済成長するには、スペイン・ポルトガルの海上覇権に挑戦しなければなりません。
オランダの法学者、外交官のグロティウスは「海洋自由論」を著して貿易と公海の自由を説いて、海洋上の国際法の基礎を築きます。
また、相手国の船を攻撃して掠奪する許可を得て活動する私掠船や密貿易などの手段も駆使し、スペイン・ポルトガルの覇権を打破していきます。
スペインと対立していたイギリスもオランダを支援し、私掠船によりアメリカ大陸から膨大な銀を輸送するスペインの銀船団に対する攻撃をくり返しました。
スペインは報復のために無敵艦隊をイギリスに派遣しますが、嵐にあい、イギリス海軍に敗北して大西洋の制海権を失うこととなります。
東インド会社
1602年、オランダでは東インド会社が設立されます。
オランダは喜望峰からマゼラン海峡に至る広大な地域の貿易、植民、軍事の独占権を握りました。
東インド会社は、商人たちの過当な競争を避けるため総督の提案で創設された世界初の株式会社です。
株式会社は、株主に株券を購入してもらって利益が出れば配当を分配し、損失が出れば出資金の枠内で株主に損失を負ってもらうという有限責任の組織です。
東インド会社は香辛料などの貿易を独占し、たったの六年間で資本額は4.6倍にもなりました。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
オランダはスペイン・ポルトガルの覇権を打破する過程でプランテーションの普及と海洋国際法の基礎を築くことにより世界史に名を刻みました。
また、世界初の株式会社である東インド会社は、後の経済システムの変革の中で民間組織の力が強まっていくキッカケとなります。
次回は、さらにオランダから海洋覇権を奪ったイギリスについてみていきます。
本日もご覧いただきありがとうございました。
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