皆さんこんにちは。自分以外の家族がインフルで全滅した文月です!
本日も引き続き「世界全史」について見ていきたいと思います。
この一連のエントリーは、私の読書備忘録を兼ねています。
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本日は第6章「世界史の舞台を大きく拡張した大航海時代」から、イギリスの台頭についてみていきます。
目次
イギリスの変容
イギリスはエリザベス1世のもと、スペインの無敵艦隊を破り大西洋の制海権を得ます。
エリザベス女王が逝去すると、スコットランドから横暴なジェームズ1世が王として迎えられましたが、その後横暴さから議会と対立し、イギリス在野の勢力が立ち上がり王を排除します。
これが「ピューリタン革命」です。
ピューリタン革命の指導者だったクロムウェルは新たな独裁者として振る舞いますが、国民の支持は得られず、クロムウェルの死後、オランダ総督に嫁いでいたメアリ二世とその夫であるオランダ総督ウィリアム三世がイギリス国王に即位します。
「名誉革命」です。
この名誉革命により「権利の章典」が発布され、議会を中心とする立憲君主制の基礎ができました。
1714年に王朝が断然すると、今度はドイツからジョージ1世が迎えられましたが、なんと王は英語がわからない。
王は閣議に参加しても何を言っているかわからず、閣議を欠席するように。
このため、大臣の一人が内閣総理大臣として王の職務を代行しました。
こうして、「ピューリタン革命」、「名誉革命」を経て、イギリスは「責任内閣制」(内閣が議会に対して責任を負う。)に移行していきました。
海軍力によりイギリスが台頭
イギリスは海軍力の増強につとめ、大西洋を支配していたオランダに挑みます。
クロムウェルの航海法によりオランダを植民地貿易から締め出し、「イギリスに敬意を払わなかった」という難癖で実力にうったえて(英蘭戦争)オランダを追いやります。
産業でも、オランダの技術を模倣農村の毛織物業を成長させて毛織物の主要産出国になり、ヨーロッパ経済の中心がイギリスに移動します。
イギリスによる海洋覇権
17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパの外部でヨーロッパの国同士による植民地戦争が繰り返されました。
イギリスは北アメリカに植民を続けましたが、現在のカナダからミシシッピ川までを支配していたフランスと進出方向が重なり、両国は戦争を繰り返すことになります。
ヨーロッパでの「七年戦争」と連動して行われた「フレンチ・インディアン戦争」でイギリスはフランスに勝利し、フランスからカナダ、ミシシッピ川以東のルイジアナ、スペインからフロリダを獲得して北アメリカでの覇権を確立します。
これによってイギリスは北アメリカにスペインに匹敵する大植民地を獲得し、大西洋をまたぐ覇権国家となりました。
しかし、戦争で発行した赤字国債償還のためにイギリスは植民地に対して本国並の課税をかけ、この課税への猛反発から「アメリカ独立戦争」が勃発します。
アメリカは独立戦争に勝利して独立、イギリスの北アメリカの植民地はカナダだけが残ることになりました。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
したたかにオランダから海洋覇権を奪ったイギリスでしたが、赤字国債償還をあせったばかりに大西洋をまたぐ大帝国になり損ねてしまいました。
次回からは第7章「大西洋が育てた資本主義と国民国家」についてみていきます。
本日もご覧いただきありがとうございました。
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