皆さんこんにちは。文月です。
本日も引き続き「世界全史」について見ていきたいと思います。
この一連のエントリーは、私の読書備忘録を兼ねています。
一つ前のエントリーはこちら。
本日は第7章「大西洋が育てた資本主義と国民国家」から、産業革命についてです。
目次
イギリスで産業革命が始まる。
1760年代になると、砂糖の増産により貿易バランスが崩れ始めました。
砂糖が儲からなくなってきたのです。
このため、イギリスは新しい戦略商品を探さなくてはならなくなりました。
イギリスが目を付けたのはインドの綿布。
イギリスに持ち込まれた綿工業の紡糸(綿花から糸を作る)工程から産業革命が始まっていきます。
イギリスは毛織物の一大輸出国でしたが、亜熱帯、熱帯などの輸出先の気候と合致せずに低迷します。
また、自国の毛織物業者を保護するために「綿布禁止法」などを制定して、自国内の綿布の流通を禁止してしまいます。
しかし、世界的には綿布は戦略商品。
イギリスは、インドから綿花を買うと大量の銀が必要となり高くつくので、カリブ海で新たに綿花を栽培して、イギリス本国で綿布を生産する事にします。
綿布の大量生産ために産業革命が始まります。
機械による生産力の向上
最初は綿布を大量生産するための機械が導入され、綿布の生産力が向上します。
すると今度は綿糸が足りなくなり、業者は大量に紡糸できる新技術の発明に懸賞金をかけるようになります。
そのため、素人たちが研究に没頭するようになり、紡績機械の発展・改良が進んでいくことに。
はじめ、水力を動力として何千もの紡錘を動かす「水力紡績機」が開発され、開発者は莫大な利益を得ます。
しかし水車を動力源とする水力紡績機は水の流れの急な山麓地でなければ動かせず、場所の制約がありました。
そこで現れたのが石炭を動力とする「蒸気機関」です
蒸気機関は、石炭を燃焼させて水を沸騰、蒸気を発生させて動力を得ます。
場所を選ばず機械を動かすことのできる蒸気機関は万能の動力としての地位を確立。
石炭が社会を支えるエネルギーとなったのです。
イギリスは、自由貿易をスローガンに大西洋世界のみならずアジアにも市場を広げ、「パックス・ブリタニカ」と称される繁栄を得ます。
しかし、新しい生産方式は都市にスラム街や労働者の劣悪な生活環境を生み出して格差を拡大、社会矛盾を激化させました。当時の労働者の平均寿命は、なんと20歳以下であったと言われています。
格差の拡大
産業革命期のイギリスでは、「資本家・地主・貴族」と「労働者・失業者」の格差は悲惨なまでに広がりました。
工場経営者などの資本家は華美な生活をする一方、労働者は食べるものも少なく労働基準法も労働組合の結成もなく、ひたすら搾取されるような形だったのです。
この対立構造でイギリスは分裂していきます。
格差解消が喫緊の課題となってしまったのです。
当初は資本家のみの選挙権だったのが、労働者にも段階的に選挙権が与えられ、その後徐々に普通教育の実施、労働組合の合法化などの権利が与えられていき、イギリスは落ち着きを取り戻していきます。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
産業革命は突然起こり、急激な変化をもたらしたのではなく、その過程はあくまでも緩やかなものでした。
しかし一度産業革命が軌道に乗ると、格差が加速度的に広がっていきました。
資本主義社会において、格差は宿命のようなもので、その解消はそう簡単にはいきません。
本日もご覧いただきありがとうございました。
関連するエントリーはこちらから。