文月の100年計画ブログ

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【読書】世界全史⑦-4 ~国民国家~


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皆さんこんにちは。文月です。

 

本日も引き続き「世界全史」について見ていきたいと思います。

 

この一連のエントリーは、私の読書備忘録を兼ねています。

 

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本日は第7章「大西洋が育てた資本主義と国民国家」から、鉄道の発展についてみていきます。

 

目次

 

 

 

国民国家とは

 

国民国家とは、「国家内部の構成員を『国民』として統合して成立する国家」であり、それまでの主権国家体制(国家が主権を持つ=絶対王政など)から、イギリスの「ピューリタン革命」、「名誉革命」、フランスの「フランス革命」を通じ、君主に代わって「国民」が主権者として登場したことにより成立しました。

 

18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパではイギリスやフランスを手本とした近代化が進められていきます。

こうして国民が国家の主権者の地位についたことにより現代まで続く近代国家が形成されていくこととなりました。

 

 

国民国家の先駆け「アメリカ独立戦争

 

フランスとのフレンチ・インディアン戦争に勝利したイギリスは、メキシコ以北の北アメリカの覇権を確立、広大な植民地を支配するようになりました。

 

しかし、フレンチ・インディアン戦争の結果、莫大な負債を抱えたイギリスは北アメリカの植民地の課税を強化、砂糖法、印紙法などの一連の課税法を通じ、イギリス本国に対して北アメリカ植民地は対決姿勢を強めていきます。

 

1773年、イギリスの「茶法」によりイギリス東インド会社に植民地での茶の独占販売権が与えられ、東インド会社の茶が植民地で安く流通するようになると、茶の密貿易などで利益を上げていた植民地商人の怒りが頂点に達し、ボストン港に入港した紅茶満載の東インド会社船を襲撃、紅茶をすべて海に投げ捨ててしまいます。(ボストン茶会事件

 

ボストン茶会事件をキッカケにボストン港は閉鎖、イギリス本国軍が植民地に派遣されたりと緊張が高まっていきます。

 

1775年、ボストン郊外のレキシントンで本国軍と植民地民兵の衝突が起こり、戦争が始まることに。

 

同時期、「独立」の正当性を呼びかけたトマス・ペインの「コモン・センス」がベストセラーとなり、植民地の独立機運が高まります。

 

戦争中の1776年、アメリカ大陸議会は独立宣言を採択。

 

イギリスの弱体化を狙うフランス、オランダなどの支援もあり、1983年の「パリ条約」でアメリカの独立が承認されました。

 

アメリカ独立戦争では、イギリス国王の支配を否定するため、ルソーの「社会契約説(個人間の契約により政治社会が成立、その正当性を担保)」が採用されました。

アメリカ合衆国は民意を集約する議会を中心とした最初の国民国家として成立したのです。

 

 

アメリカ独立が飛び火「フランス革命

 

フランスのブルボン朝はイギリス弱体化を狙い、植民地軍に手を貸し、アメリカ独立を助けました。

 

しかし独立戦争の支援のために国家財政が悪化、フランスは貴族階級への課税が避けられなくなりますが、貴族は174年間開催されていなかった聖職者、貴族、平民による議会である三部会の召集を要求、開催されることになります。

 

しかし、大多数を占める平民が国民議会を結成して憲法の制定を求めるという思いがけない展開に発展。

それに対して、ルイ16世は武力弾圧の構えを強めます。

そうした中で、1789年7月14日、パリ市民がバスティーユ牢獄を襲撃しパリを制圧、フランス革命が勃発しました。

 

ルイ16世は王政復古を目指しますが結局処刑され、フランスでも議会が政治を主導する国民国家が成立します。

 

ナポレオンの出現とその影響

 

フランス革命は1795年の「総裁政府」成立をもって一応の集結を見ますが、フランスの国民主権の波及を恐れるヨーロッパ諸国により「対仏大同盟」が結成されるなどフランス国内の政情は依然として不安定なものでした。

そのような中で台頭したのがナポレオン・ボナパルトです。

 

ナポレオンは徴兵制により大軍を組織し、周辺の封権的国家の軍を打ち破ります。

 

二度の対仏大同盟解体によりフランス国民の人気を集め終身統領になり、さらにはフランス皇帝の座につきます。

 

ナポレオンはオーストリア、ロシアを破り、神聖ローマ帝国を解体し、プロイセンを破ることでヨーロッパのほとんどを支配する事となります。

 

しかし、スペインでのゲリラ戦や、イギリスを弱体化させるための「大陸封鎖令」に違反したロシアへの懲罰的遠征の失敗が重なり、ナポレオンの権勢は衰え始め、ロシア、オーストリアプロイセン連合軍に破れて地中海のエルバ島に流されてしまいます。

 

ナポレオン失脚後のヨーロッパでは、ナポレオンに征服された領土問題を解決する「ウィーン会議」が開かれましたが、大国間の利害がぶつかり合い「会議は踊る、されど進まず」の状態で、一向に解決を見ませんでした。

 

この報を聞いたナポレオンはエルバ島を脱出しフランス皇帝に返り咲きますが、結局ワーテルローの戦いに破れて今度は南大西洋の孤島セントヘレナ島に流され、ナポレオンの生涯は終わります。

 

ナポレオン復活に慌てたヨーロッパでは、伝統的国家体制を復活させ(ウィーン体制)、一旦は落ち着くこととなりました。

 

しかし、ナポレオンはヨーロッパ諸国を征服する事により国民主権を各国に輸出、それは簡単にもとに戻るようなものではありませんでした。

 

ラテンアメリカでは各国が次々に独立し、フランスやプロイセンなどでも革命が頻発、ウィーン体制は短期で崩壊します。

 

その後国民国家ナショナリズムと結合し、イタリア統一やドイツ帝国の成立のような民族統合に進んでいきます。

 

終わりに

 

いかがでしたでしょうか。

 

教科書的にはフランス革命はいきなり単独で出てきますが、本書では「アメリカ独立戦争」との連続した事件として扱っています。

 

国民国家国民主権から世界は弱肉強食に向かっていくことになります。

 

本日もご覧いただきありがとうございました。

 

 

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