皆さんこんにちは。文月です。
本日も引き続「世界全史」について見ていきたいと思います。
この一連のエントリーは、私の読書備忘録を兼ねています。
一つ前のエントリーはこちら。
本日は第8章「イギリスがリードした「ヨーロッパの世紀」」から、ドイツ・アメリカの台頭についてみていきます。
目次
ドイツによるイギリスへの挑戦
19世紀後半、イギリスの経済成長は鈍化し、代わりにヨーロッパではドイツが、大西洋を超えてアメリカが台頭します。
資本主義経済下ではおよそ10年単位で好景気と不景気が循環し、不景気ではさらに恐慌が襲います。
不況の中で反ユダヤなどの拝外的な雰囲気が強まり、それに迎合した政治家による国内不満を国外にそらすような政治な、軍拡や植民地獲得競争に繋がっていきました(帝国主義)。
19世紀末、ドイツはイギリスを抜いて世界第一の工業国になります。
新たにドイツ皇帝となったヴィルヘルム二世は、積極的な海外進出を目論んでイギリスに挑戦します。
ドイツとイギリスの間の建艦競争は激化し、世界の経済戦略でも「3C(カイロ、ケープタウン、カルカッタを結ぶ世界戦略)政策」に対する「3B(ビザンティウム(イスタンブール)、バグダッド、ベルリンを結ぶ世界戦略)政策」、「三国同盟(ドイツ、オーストリア、イタリア)」と「三国協商(イギリス、フランス、ロシア)」を組織して互いにぶつかり合い、第一次世界大戦に繋がっていきます。
西部開拓が終わり太平洋に進出するアメリカ
独立同時、大西洋側の13州だったアメリカ合衆国は、西へ西へと拡大し、19世紀中頃には太平洋に至りました。
1860年にリンカーンが大統領に就任すると、アメリカの南部7州が合衆国を離脱、新たに「アメリカ連合国」を作ります。
あくまでも南部の連邦離脱をリンカーンは許さず、「南北戦争」が勃発。
南北戦争はアメリカを二分し、南北合わせて約62万人もの死者を出す大規模な内戦でしたが、最終的には北部の勝利に終わりました。
南北戦争後のアメリカは、大陸内で消滅した西方のフロンティアを太平洋に求めるようになります。
まずは大西洋と太平洋をつなぐカリブ海を「内海」とするため、スペインとの「米西戦争」に乗り出します。
アメリカのメイン号という船が沈没した理由を、確固たる証拠もないのにスペインのせいとしてスペインに宣戦布告、わずか4ヶ月でアメリカが圧倒的勝利を手にします。
この結果、スペインはキューバの独立を承認し、プエルトリコとフィリピンをアメリカに割譲する事に。
米西戦争をきっかけに東アジアへの足場を手に入れたアメリカは、大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河を完成させ、太平洋海域への進出を本格化させます。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
産業革命をリードしたイギリスは相対的に経済成長のスピードは鈍化し、代わりに新興のドイツとアメリカがキープレイヤーとして登場し始めます。
この後、世界は二度の世界大戦に向かっていきます。
本日もご覧いただきありがとうございました。
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